地球憲章の成立過程に参加して <2001年>

参議院議員 広中和歌子
地球憲章委員会委員
地球憲章推進日本委員会事務局長

20世紀、人類は科学、技術、医学の進歩によってめざましい経済発展、富、長寿を手に入れましたが、その反面、地球環境問題をはじめ、戦争の規模と被害の拡大など大きな課題を抱えることになりました。

経済発展は多くの、時には修復不可能な環境破壊を引き起こしましたし、貧困の格差など社会的不公平を生みました。又、二つの世界戦争とそれに続く冷戦の下、各地で繰り広げられた地域紛争などで多くの人々の生命、財産、幸福が奪われました。戦争は最大の環境破壊でもあります。20世紀は富める国、富める人々を生んだ一方で、貧しい国は一層貧しく、又、一国内における貧富の格差は増大しています。寿命の伸びを享受する人々が増えた反面、今や62億の人間が人類にとって唯一の住み家であるこの地球上に存在し、その数は今後ますます増え、更に地球環境に負荷を与えるでしょう。

その増え続ける人達がより豊かな暮らしを求めて、これまでのような経済発展を志向すれば、地球の資源は枯渇し、更なる環境破壊につながるでしょう。温暖化による異常気象、海面上昇、森林減少、砂漠化等々、こうした環境劣化によって貧しい人達の暮らしはますます貧しくなり、今後環境難民が発生する事態が起こらないとは限りません。貧困は人々の心にフラストレーションを生み、それが紛争に発展すれば、更なる貧困と環境破壊を生み出します。現在、世界の20%の国の人々が地球資源の80%を消費していると言われています。貧困に追い討ちをかけるような紛争や環境劣化の悪循環を断ちきり、グローバル・フェアネス—地球規模での公正な社会を作っていかなければならない—というのが、我々人類が足を踏み入れたばかりの21世紀の大きな課題ではなかろうかと思います。

こうした問題への関心はこれまで国連や各国政府、NGO、個人などによって様々な形で提起され、対応がとられてきました。その対応の一つに1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」があり、それは世界中に大きなインパクトを与えました。しかし、その後も経済発展、人口増加は続き、環境問題もより深刻化し、貧富の格差は益々拡大してきたのです。

そんな中、環境問題の解決には条約や法令だけでは不充分で、人々の考え方、行動そのものを変えるような哲学、倫理観、行動規範が必要だという考え方に立ち、1987年、ブルントラント委員会の報告書「われら共通の未来(Our Common Future)」の中で地球憲章の作成が呼びかけられました。その後、1992年ブラジルのリオで地球サミットが開催され、「持続可能な発展」が大きなテーマとなりました。折から、冷戦が終り、世界が地球環境問題を人類の共通のテーマに協調ムードが高まった時でもありました。170ケ国の政府代表をはじめ、国連機関やNGO、宗教団体、市民などが参加したこの会議では「地球規模で考え、地域で行動する−Think Globally, Act Locally」という標語の下、討議がなされ、会議が採択したAgenda 21とリオ宣言の合意に基づき、その後各国は様々な取り組みを始めました。

この会議では「温暖化防止条約」と「生物多様性条約」が署名され、「砂漠化防止条約」採択へ向けての交渉開始も合意されました。しかし、地球憲章については、IUCN(国際自然保護連合)をはじめいくつかのNGOがそれぞれ地球憲章案を提出しましたが、まとまるには至りませんでした。

RIOサミット後、「地球憲章」作成への新たな運動は1994年 M.ゴルバチョフ元ソ連邦大統領(グリ-ンクロス・インターナショナル代表)と M・ストロングRIO地球サミット事務総長(アース・カウンシル代表)を中心に、オランダのルベルス首相の支援で、新たなスタートをきりました。1995年オランダはハーグのピース・パレスに世界中からNGOや宗教者、学者、国際機関の代表、政治家など大勢の人々が集まり、「地球憲章」を作る提案がなされ、その内容について二日間にわたるブレインストーミングが行われました。私もその中に参加した一人で、現在国際基督教大学教授をされている高橋一生氏も当時笹川平和財団を代表して参加されていました。

その後、RIOサミットから5年後の1997年、再びブラジル、リオでのRIO+5の会議が開催されましたが、その会議と並行して地球憲章起草委員会が召集され、世界各地から地域、年齢、職業を代表する24名のメンバーが参加。そこでの地球憲章作成の作業を経て、その結果はRIO+5の会議で「地球憲章草案」として発表されました。

この草案をもとに、世界中の人々の意見をできるだけ多く聴き、取り入れ、ピープルズ・チャーター、つまり”人々が作る地球憲章”にしようというM.ストロングさんの呼びかけで、世界各地で地球憲章委員を中心に更に作業は進行していきました。

この地球憲章委員会に日本から参加した私は、日本の人々からの意見を取りいれるため、英語の原文を翻訳しました。そのテキストをもとにグリーンクロスジャパンの支援の下、環境文明研究所を主宰する加藤三郎氏を中心としたグループが地球憲章を検討、更に加筆して地球憲章委員会本部に日本からの意見として送付されました。

このように世界各地から寄せられた意見を更に集約し、地球憲章として纏め上げたのが哲学者のS.ロックフェラー教授で、3年間の歳月をかけてそれは練り上げられました。それを受け、2000年3月、パリのユネスコ本部に地球憲章起草委員が集まり、最終稿を決定。そして同じ年の6月、再度ハーグのピースパレスに参集し、女王の御臨席の下、地球憲章は正式に発表されました。

地球憲章は我々の唯一の住み家である地球に対する責任を分かち合い、お互いや他の生物への思いやりをもって、持続可能、かつ平和で公正な社会を、この21世紀に築くための価値や原則を謳い、行動規範を述べています。

それは、我々がこれまでの大量生産、大量消費、大量廃棄のパターンを改め、地球の資源を大切に使い、環境によりやさしい持続可能な社会に変えることによって、これ以上の環境劣化を食い止めようとするものです。地域のコミュニティとそこに住む人々への配慮を忘れず、それぞれの文化や人々の暮らしを尊重しつつ、地球全体の環境を守っていこうというものです。人権を守り、貧困をなくす努力を行い、識字率を高め、女性や少数民族に配慮した民主的で非暴力の社会を築こうとするものです。

さて、「地球憲章」を作り上げるこれまでの作業を第一段階とすれば、その理念を広めることによって人々の心の中に定着させ、日々の行動、活動に影響を与えるようになることが第二段階といえるでしょう。

2002年8月、ヨハネスブルグで開催されるRIO+10の地球サミットに向け、この地球憲章の支持を広げていこうという運動が、地球憲章委員会の下、世界各地で既に始まっています。アメリカ、オーストラリア、イタリヤ、フランス、メキシコ、ポルトガル、フィリピン、インドネシア等々、そして日本でも地球憲章推進日本委員会が発足し、地球憲章を人々に知ってもらう活動や会議が行われています。

この憲章を広める一助として、学校現場で副読本としてホームルームなどで使うことができないか、大学の授業、企業や地域の集会や活動の中で紹介して貰えないだろうか、県や市や町がこの地球憲章を採択してくれないだろうか、といったことを地球憲章推進日本委員会としては望んでいます。

そしてヨハネスブルグの環境サミットでも、地球憲章が多くの参加国、参加者によって認知され、支持されることをこの地球憲章の草案作りに参加したすべての人達と共に願っています。

21世紀の人々が平和に安全に暮せる社会を築くためには、互いに、そして他の生物に様々な形で配慮しなければならない、というごく当たり前のことを、この地球憲章は私達に思い出させてくれます。 どうか、それぞれのお立場で地球憲章の輪を広げて下さい。